"そう考えると、先のベルトコンベアーのシーンも少し違った意味合いで見えてくる。監督としてのチャップリンは確かに、機械批判のためにこのシーンを撮ったと思われるのだが、演技者としてのチャップリンは、ネジ締めの作業を強迫的に反復しながら、どこかである身体的快楽を感じてしまっているかのように見えるからだ。私たち観客もまた、チャップリンの動作の単調なリズムに「同化」することで、このシーンに没入するのではないか。そしてそれこそが、この映画の魅力なのではないか。表面的な「機械批判」の裏側で、機械に「同化」し、機械を愛しているチャップリン。実際私たちは、彼が操っている映画カメラ(や映写機)が、フィルムを間歇的に次々と送り出していく「ベルト・コンベアー」そのものによってできていることを忘れてはならないだろう。彼がヒューマニズム思想を表現できるのも、あくまでこの「フィルム・コンベアー」工場を基盤にしてのことなのだ。"

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